先日、家族との夕飯時の会話で 「異性にモテるのはどんな人だろう」 という話が出た。
どんな話の流れでそうなったのかはもう忘れてしまったが、これが以外と会話が弾んだ。(息子はプチ反抗期と思春期なので会話にはほとんど入らず黙々と食事を続けている)。
モテる人の条件とは
モテる人の条件として
- イケメン
- イケ女
- マメな人
- 清潔感のある人
- お金持ち
などいろんなタイプを出したが、娘がおもむろに
「違うよ、心のキレイな人がモテるんだよ!」
と純粋な瞳でキッパリと言い切った。
私たちは同時に言葉に詰まった。
正論だ、確かに正論だし心がキレイな人は好かれるし、本来世の中はそうでなくてはいけない。 しかしだ、好かれるのとモテるのとは似て非なるもの、現実はそれだけではモテる訳ではないのだ。 そして悲しいかな汚れた大人の私には キレイな心の人がモテる為にはキレイな心+オプション、つまり、
- キレイな心+イケメン
- イケ女 キレイな心+マメな人
- キレイな心+清潔感がある人
- キレイな心+お金持ち
というオプションが必要な事が痛いほど分かっているのだ。
まあそんな低俗な事を力説しても、心のキレイな人はそもそもモテたいという願望が希薄な気がするのだが。いや、心が綺麗でもやはりモテたいだろう。言わないだけで。
話が長くなったが、心がキレイなだけではさほどモテない、モテる為にはオプションが必要だという下世話な話をして、まだ純粋無垢な娘が持つパブリックイメージを壊してはいけない。(この辺りで息子は黙々と食事を食べ終えて自室に籠もる)
娘の言葉の答えに言いよどんだ私の態度に家内もそれを察したのか
「そうだね、そうかもしれないね」
と答えてその話題は終わった。 娘がモテと非モテの現実を知る日はいつなのだろうか。
恋愛よりも金だ
それほど先の話ではないと思うが、その頃にはアフィリエイトで生活出来るようになっているといいなあ。心が綺麗でも汚くても金があればモテる。金が無いならそれなりの努力が必要になる。金のない所に生まれる愛情こそが真の愛と言うべきか。
しかし、この年齢になると愛などどうでもよい。好きな人と何処かへ行きたい。一緒に時間を大切にしたいなど微塵も思わない。面倒なだけだ。そんなことより、手っ取り早く・・・いかん、変な事を書きそうになった。
まあ、どのような愛にせよ行きつく先は一つしかない。要は、若ければ誰でもいいのだ。顔の良し悪しなど関係ない。性格なんて全く関係ない。
ウブな心など遥か彼方に消えてしまっている。人間の汚い部分をたくさん見ると、こんな考えになってしまうのか。
私の本当の結論としては、私より10歳若ければ全員可愛い。世間一般にモテるかなんて知るか。
そんなことを考えると、若いころに恋愛について真剣に考えていた時間がもったいなく思う。その時間をもっと別なものに向けていたら人生がもう少し好転していたと思う。
別な物とは、例えば金儲けとか、お金を稼ぐ方法とか、金が降ってわいてくる方法とか。恋愛の中で生まれてくるものも大切かもしれないが、金が生む自由は何物にも代えがたい永遠の安らぎを与えてくれると思うが違うか?
今、大金が手に入ったら、間違いなく誰もいない山奥に住み、全ての縁を切るだろう。そして、昼は青空、夜は星空を見上げ、つまらなくても充実した一生を送りたい。
可愛らしいギャルが遊びに来ても1泊はさせるが、2泊はさせない。そのギャルがもしお金抜きで「愛している」と言って来たら、心療内科を進める。
話が脱線しすぎたので元に戻そう。
清潔感のあるデブ?
ところで前述のモテる人の条件の中に 清潔感のある人 という項目があったが、改めて 清潔感のある人の清潔感 とはなんぞやと疑問に思い、なんとなく 清潔感のある人とググってみた。
すると検索結果に 『清潔感のあるデブ』 と出ていて、あまりの字面のインパクトに驚く私の横で嫁が爆笑していた。
不潔なデブが良く笑えるな。
そんなデブを軽蔑する下劣なデブであった。しかし、恋愛において最後に笑うのは金のあるデブだろう。結局最後は金の話になってしまった。
若者に一言、恋愛の事を考えるのも大事だが、お金の事を恋愛以上に真剣に考えた方がいい。金持ちの彼女なら話は別だが。
以上、清潔感のあるデブを笑う不潔なデブ。最後に笑うのは金のあるデブ。でした。